独学・演技のあれこれ ① – コントの演技・俳優の演技 –

物心ついた頃から人前に立つのが好きで、なので学校では演劇部に入りたがり、とうとう演劇の専門学校まで出てしまい、その後にあれこれ考えたり試したりして結局お笑いのライブでコントをやる、という活動をはじめてからもうすぐ17年が経とうとしています。

その間、いわゆる「演劇」にはほとんど関わることはなく、また、事務所や養成所などで「お笑いを学ぶ」ということもなく、コントは独学、というより、目分量で作ってきており、そして、私はどういうわけかお笑いのライブに出始めてからというものテレビのバラエティ番組やネタ番組をほぼほぼ観ることができなくなってしまいました。観ている内に、なんだかいたたまれないような、落ち着かないような、妙な気分になるのです。なので、テレビももう10年ぐらい家に無い状態で過ごしています。

それでも、お笑いのライブに出ることもできるし、自分で舞台を借りて自分一人きりが出演者となる単独公演をやることだってできます。活動の仕方としてはあまり大勢はいないタイプの芸人だとは思いますが、それでも、演技についてはやはりその17年間でいろいろ考えてきております。

普段は自分でぼんやり考えているだけで終わってしまうものごとを、きちんと文章にまとめればもしかしたら読み物として多少は楽しんでいただけるかもしれない、と、これから何回かにわけてこの「読み物」コーナー上で独学なりの演技の話をしてみたいと思います。

とはいえ、「いつも友だちと行く居酒屋さんとかでの話のタネ」として披露してきたお話ばかりになりますので、そーんなにたいしたお話にはならないと思います(笑)。そういう考えもあるのね、ということでどうぞお気楽にご覧ください。

 

コント芸人と俳優とにおける「演技感」の差異について

演劇の専門学校にいる間は、自分が芸人としてお笑いライブに出るとは全く思っていませんでした。ただ、その当時からなんとなく尊敬していたのは「コントができる」という俳優さんや芸人さんで、周囲を見回してみてもそういう方は総じて「演技力が高い」と評されているようでした。ですので、私も自然と目指す方向として「コントができる人」を希望してゆくようになったのだろうと思います。

ただ、漠然と「コントがやりたい」と思ってはいましたが、お笑いライブに出始めた頃の私はコントの作り方を全く知りませんでした。人生初のお笑いライブで文字通り死ぬほどスベリ倒して、これは本当に難しい芸当なのだなと改めて目の当たりにして、そこからとにかくライブにたくさん出て見よう見まねでいろいろ工夫する、というその繰り返しでした。

コント芸人の熟達方法

コントの芸人と、俳優とでは、同じ「演技」を扱う業種でも、その『熟達の方法』はかなり違います。

演劇の場合は、たとえ一人芝居や二人芝居の場合でも脚本家や演出家が別に付く場合があり、稽古場を押さえて繰り返し稽古したものを披露する、という文化があるわけですが、コント芸人の場合はほぼ必ずと行っていいほど「演出家」が別に付くことはありません。演出家と脚本家を同時に兼務する形で「作家」が付くことはありますがインディーズのお笑いライブに出る芸人でまず作家とがっちりチームとして組んで活動している人はいません。作家が付く、といっても、月一くらいの割合で事務所付きの作家の方が何組もまとめてダメ出しを行う会があるくらい、そして、ネタ作りの作者は芸人自身となります。

この、脚本・演出・出演を常に自分たちで行う、というスタンスがコント芸人の「演技」を俳優とは別のものへと熟成させてゆくわけです。もっといえば、一生かけて「見よう見まね」でやってゆく人がいてもなんらおかしくない、というのがコント芸人の特徴と言ってもいいかもわかりません。

「笑わせることに特化させた演技」の意味

そして、コント芸人と俳優との演技をさらに異なるものとしてゆく要因が、「笑わせなければならない」という『制限』です。

落語に人情噺があるように、お笑い的な要素が少ない芸というのもありますが、基本的にはコントは「笑ってもらうための演技」となります。ただ、これは演劇における「コメディ」とはどこか毛色が違うものが多いようです。

これまで観察してきた限り、一つの要因としてコントの演技は演技者の感情や脚本の狙い等よりも「間とタイミングの技術」に比重が大きい、というのがあります。場の空気を読む、という言葉が使われたりしますが、ネタの脚本は「観客の意識をどのように誘導し、そしてタイミングよく落とす(笑わせる)ことができるか」を念頭に書かれており、それを再現するには感情の再現だけでなく「ここであえて長めの間を置いて、一旦観客の注意を引く」という、登場人物の心理とは全く異なる演技スキルが、感情の演技と同時に、断続的に必要になってゆきます。このタイミングの感覚は、リズム感よく歌を歌ったり、楽器の演奏を行ったりするものに若干通じるものがあります。(芸人の人で歌がうまかったり楽器の演奏やDJがうまかったりダンスが得意だったりする人がいるのはこの「リズム感の良さ」に関係があると考えます)

その点、演劇の「コメディ」は脚本に登場する人物の心理や行動を忠実に再現することによって発生する面白さの方に比重が置かれることが多くなり、その分コント芸人が使うような「個人技的な笑いのとり方」は重視されにくいのではないか、と思います(俳優のタイプによって個人技的な笑いを得意とする人もいるかと思いますが)

コントの演技における「リアリズム」

では、コント芸人は演技に関して登場人物の心理や行動を忠実に再現することはおろそかにしているか、という話になると、またちょっと変わってきます。

大前提として、笑ってもらえる演技をするには、「演技が問題なく上手い」か「思いっきり下手」かのどちらかに振り切る必要があります。素人目に見ても演技が下手だと判断されてしまう場合、ネタを十分に再現させることができず笑いを取ることが難しくなります。つまり、演技ができない、というのは単純にコント芸人としてのハンデとなってしまうのです。

その点、演技が上手い芸人の場合は、短いネタ時間の中でもすぐに世界観を再現させることができ、また、感情の流れが自然に見える自然な演技を行うことができればその分お客さんも舞台の方へ神経が引き込まれてゆく、そして演技に集中したお客さんと演者との間に出来上がる空気が「場」となって、ネタに仕込まれた笑わせるための『仕掛け』が十分に発揮するようになるのです。

また、コントの場合には「現実に近い抑えた演技」を目指す必要は必ずしも無く、登場人物のキャラクターがリアルに見えさえすれば、つまり、キャラクターとしての説得力が生まれさえすれば、一見拙く見える演技でも「こういう人居そう」というリアリティとなり、大きな効果を発揮することもあります。つまり、コントの演技はあくまで『ネタに仕組まれた、笑わせるための仕掛けを成立させることが目的』なので、キャラクターに説得力や存在感があればそれで十分となるケースもあるわけです。これは、演者の持つキャラや世界観に大いに左右される部分です。

まとめ

コント芸人と俳優の演技を対比した場合の差異について、おおまかに下記の三点が考えられそうです。

  • コント芸人は演技者としてだけでなく脚本家・演出家の立場で考える機会も多くある
  • コントの演技は「間とタイミング」の技術にかなりの比重が置かれている
  • コントの完成度を上げるためには俳優と同様にリアリティのある演技を行う必要があるが、それは「より現実に即しているかどうか」よりも「キャラとして(ネタを機能させるための)説得力があるか」に重きが置かれる

芸風にもよるところが大きいので一概には言えない部分もありますが、「演技が上手い」と言われているコント芸人の方には当てはまる部分が多いと思います。

次回予告

私は演劇の現場に居た機会が少ないので俳優側の話はあんまりできない、というのが今回やってみてわかりましたので(笑)、次回からは私がコントをやりながら考えてきた演技についてのメモ書きを少しずつ書き付けてゆこうと思います。私の頭の整理のためなのですが、よろしければまたおつきあいいただければと思います!どうぞよろしくお願いします。

JOKE FACTORY
JOKE FACTORY(ジョークファクトリー)コント公演企画/コントライブ・インプロライブ主催/フライヤー・映像製作(東京都中野区/主宰・砧川キヌ子)